
1985年の秋、高校三年生の二学期から始まったミュージシャン生活。様々なことがありましたが、とにかく前を向いて無我夢中で走り続けて来ました。気がついたら40年経ってしまったわけですが、振り返るとその景色に我ながら驚くことがあります。今まで応援していただいた皆様に感謝の気持ちを込めて、40年間の音楽生活を振り返ってみたいと思います。
ミュージシャン前夜 – ミュージシャン生活の始まり
6歳から兄の影響で通いはじめたヤマハエレクトーン教室。廊下で野球をしたりとそれなりにヤンチャ坊主でしたが、楽器を弾くことが本当に楽しかったのです。弾けなかった曲が弾けるようになるのはもちろん楽しいのですが、それ以上に譜面のない曲をコピーして弾いたり、聴いたことのないハーモニーを発見したり、楽器の新しい使い方や音を発見したときは最高の喜びでした。
振り返れば、小学生の頃から漠然とではありますがミュージシャンになりたいと思っていました。しかし埼玉県の片田舎に住んでいてミュージシャンになる具体的な方法なんて知る由もありません。まだ遊びの延長ではありますが、ひたすら音楽と楽器に向き合っていました。何より音を奏でることがどんな遊びよりも楽しかったのです。そんな変な子どもは小学生でバンド初体験、中学生でジャズ・フュージョンにのめり込みます。もう高校にも行きたくない、早く世に出て自分を試したいと思いましたが、母親から高校だけは行っておきなさいと言われ、勉強がしんどくない高校を選び進学しました。今ならわかりますが、あの時ひとり音楽の大海原に粋がって漕ぎ出したとしてもきっと転覆して溺れていたでしょう。そんな技量もないし、誰かに気付いてもらえるような人間関係もありません。ちょっとした選択も、それは必然で今現在に繋がっているのだと思います。
高校では仲間とのバンド活動に明け暮れるのはもちろんのこと、地元の社会人バンドにも顔を出して演奏しました。カセットの4trMTRでデモテープも沢山創りました。充実した時間を過ごしていましたが、果たして本当に音楽を仕事に出来るのだろうかという不安を感じていました。後に気がつくのですが、若さ故に自分の好きな音楽に近いところでのプロデビューというのを思い描いていたように思います。それには明らかに実力不足な自分とのギャップから来る不安というのが少なからずあったのだと思います。その時参加していたバンドにボーカリスト高村亜留さんのバックバンドの話が舞い込んだ時、一瞬だけ躊躇しましたが、「今の自分に出来ることを精一杯行って経験を積み、少しでも前に進まなければその先の未体験ゾーンには決して進めない。よし、だったらやってやろうじゃないか!」そう思うに至り仕事を引き受ける決断をしました。ここから私のミュージシャン生活が始まったのです。

1985年の秋、なんとかプロの道を歩み始めたばかりの頃、今は亡き六本木ピットインにて。ショルキーで格好付けるよりも大事なことが沢山ある事をまだ彼は知らない。

1986年1月、広島市の成人式で演奏した時のショット。体育館ですかね。成人式ってみんな自分より年上なんだよなぁ、という不思議な感覚でした。
こうして始まったミュージシャン生活は想像以上に楽しく、想像以上に厳しく、想像以上に忙しい日々でした。高校だけは行っておきなさいと言われたのに、このままでは卒業が危ぶまれる状況になってしまいました。小野塚は退学したという噂も飛び交う始末。最低でも補講は免れないでしょう。いや本当に卒業できないかも…、という危機的状況をこの新聞記事が救ってくれました。

実際に聞いた訳ではありませんが、この記事を担任をはじめ学校側が好意的に受け取っていただいたお陰で補講もなく卒業出来たのだと思います。出席日数が足りなくていわゆる赤点の科目もいくつかあったので、もしかしたら何かしらの超法規的措置があったのかもしれません。卒業式の日に仕事が入ったらどうしようなんて少しドキドキしましたが、ちゃんと卒業式に出席して卒業証書をもらいましたので、なんとか高校を卒業することが出来ました。
ここから本格的に音楽の大海原に漕ぎ出し、現在へ続く音楽漬けの日々が始まるのです。

コメント
コメント一覧 (2件)
文は人なり。そして文は音なり。
小野塚さんの文章は、まるでその演奏のような流麗さと情熱を感じさせるものでした。
現状にもがき続けている自分にとって、大きな励みになるコラムでした。ありがとうございました。40周年ライブ、楽しみにしています。
とても興味深いお話でした。
私もエレクトーンを習っていました。音楽を仕事に出来たらと夢見ていましたが、全く方法も分からず、結婚を理由に辞めて、子育てで自分が好きな音楽やコンサートにもなかなか行かれなかったですが、子育ても落ち着いてきて、2年ほど前、30年くらい前に一度行った渡辺貞夫さんのコンサートに再び行き、とても素晴らしく、これからは可能な限りコンサートに行こうと思ってます。小野塚さんのアレンジや、みなさんの一体感や貞夫さんに寄り添う演奏がとても好きです。